オンラインの一方通行を壊す「他教科コラボ」 教員が「素人」になることで生まれる、生徒を置き去りにしない双方向性

最終更新日:2026年6月19日

コロナ禍やGIGAスクール構想をきっかけに、学校教育現場でICT活用が普及しました。タブレット端末や動画を取り入れた授業など、ICT教育が推進されている昨今。便利になった部分もある反面、結局は教員が説明して生徒が画面を黙って見るだけの一方通行になってしまい、肝心の生徒同士のコミュニケーションや双方向のやり取りをいかに生み出すかという問いは、多くの現場の先生方に共通するものではないでしょうか。

神奈川大学附属中・高等学校の福家匠人先生は、コロナ禍という極限状況の中でこの問いに正面から向き合うことになりました。福家先生はこの状況を打破すべく、YouTube Liveを使った英語×物理のオンライン授業に挑戦。教員自身が生徒と同じ「完全な素人目線」に徹して疑問やパラフレーズを挟むことで生徒の共感を呼ぶと、生徒からはロイロノートを通じて活き活きとした反響が多数寄せられました。こうした福家先生の成功体験の背景には、「教員たるもの」というプレッシャーを手放し、目の前の状況を純粋に面白がる福家先生のスタンスがありました。

パンデミックが奪った「教室のやり取り」という生命線

――2020年春、コロナ禍によって全国の学校で一斉休校を余儀なくされました。あの「日常の断絶」を、福家先生はどう受け止めていましたか?

(福家) 本当に突然でしたよね。3月になり、予定されていた春期講習もすべて中止、生徒は自宅待機。英語科としてもっとも大きな危機感は、中学1・2年生という大切な時期に、音読やペアワークといった対面でのコミュニケーションが物理的に遮断されてしまったことです。教室で生徒の声を拾い、反応を見ながら授業を組み立てるというサイクルが回らなくなったことへの不安は相当なものでした。

コロナ禍最初期はまだZoomが一般的に浸透しておらず、遠隔で双方向のコミュニケーションを取ることは困難でした。できることといえば、授業動画を録画し、資料とともに配信することくらいでしたが、こういった「投げっぱなし」のスタイルでは、生徒が画面の向こうで何を考えているのかが見えません。

「この一方通行の虚しさを解消したい」と先生方といろいろ議論していたのですが、物理を指導していた佐藤先生と「どうせ形を変えるなら、普段のカリキュラムに追われる中ではできないことをやろう」と意気投合し、以前から興味のあった教科横断型のコラボ授業を一度やってみることにしました。

教員が「素人のツッコミ役」になる、英語×物理の実験場

――コロナ禍を機にコラボ授業とは思いきりましたね。具体的にはどのような形式で、どれくらいの準備をかけたのでしょうか?

(福家) 佐藤先生が専門としている「宇宙エレベーター」を題材にした英語の講義をYouTube Liveで配信し、ロイロノートで生徒からの質問をリアルタイムで拾いました。 ここで一番意識したのは、教材研究に時間をかけすぎないことです。私は物理の知識がまったくなかったので、それを逆手に取り、あえて完全な素人として参加したのです。佐藤先生が英語で物理の講義を進める横で、私が「それってどういうこと?」「その英単語、僕には難しすぎるんだけど」と、生徒の目線でツッコミを入れたり、自分の言葉でパラフレーズしたりしました。

人気ポッドキャスト番組『歴史を面白く学ぶコテンラジオ』などもそうですが、専門家がいて、それを素人が噛み砕くという構図です。いつも教える側の教員が、素人として「わからない」と意思表示することで、生徒たちの間に「自分もわからなくていいんだ」という安心感が生まれたようです。

――オンライン授業では意見や感想を拾いにくいと悩む先生も多いですが、反応はどうでしたか?

(福家) ロイロノートを通じて、驚くほど活発に質問が寄せられました。これは生徒が優秀だからというより、教員が「わからない自分」をさらけ出したことで、教室の心理的安全性と共感が高まった結果だと思います。一方通行を解消しようとした試行錯誤が突き抜けた結果、生徒が内容を自ら咀嚼し、オンラインでも自律的にコミュニケーションを図るという副産物をもたらした、と言えるかもしれません。

独善的な「一方通行」への強烈な拒否感の正体

――福家先生がここまで双方向性にこだわるのは、なぜでしょうか。

(福家) 私自身の苦い原体験にあります。大学時代、文学部の英文科に進んだのですが、そこは専門分野に閉じこもった先生が、自分の好きなことだけを一方的に話し続ける場と言っても過言ではありませんでした。当時の私は文学への興味が薄かったこともあり、その空気にうまく乗れなかったんですよね。英語はコミュニケーションツールのはずなのに、コミュニケーションが生まれない場ってつまらないな、と。

それよりも演劇サークルの活動のほうに夢中になってしまって、気がつけば家にも帰らずアトリエで1週間過ごしていたこともありました(笑)。徐々に授業から足が遠のき、周りが就職活動を始める中で、一度いろいろリセットしたいと思うようになり、結局大学を中退してしまいました。

――大学中退後、先生はいわゆる「教員の王道」から外れた道を歩まれていますね。

(福家) 文学は合いませんでしたが、英語は聞くのも話すのも好きだったので、ラーメン屋さんで貯金をしてワーキングホリデーに行ってみよう、と。高校時代はそれなりに英語の勉強をしてきたつもりだったのですが、最初は本当にどうにもなりませんでした。そのときはさすがに「これまで受けてきた英語教育は何だったのか」と愕然としましたね。でも、それと同時に「自分が進路指導に携われたら生徒も同じような経験をせずに済むのかも」「なんか、英語教師として日本の学校に戻るのもいいな」と思うようになり、教員の道を志すことにしたんです。脈絡のないキャリアのように見えるかもしれませんが(笑)、その時々の自分が体験し、考え、向き合ってきた結果なのだなあ、と今は思います。

 

肩肘張らずに「面白がる」スタンス

――授業における双方向のコミュニケーションや教科横断型の授業を実践したくても、さまざまな背景からハードルを感じている先生も多いと思います。そういった先生方へ、現実的なアドバイスはありますか?

(福家) 私もまだまだ模索中ですが、初めから学校全体で仕組み化しようとすれば、たいてい「定期テストはどうする」「進度はどうなる」という反対に遭います。あるいは効果や指標が測定しにくいという意見もあるかもしれません。そういう意味でまずは自分一人で、または価値観を共有できる仲間内から小さく始めるのがおすすめです。

たとえば、自分の授業の中で「今、世界史でここをやっているよね」と他教科の内容を5分だけ引用する。あるいは、同僚の先生と「昨日、生徒たちが理科の授業でこんなことを言っていたよ」と雑談を交わす。それだけで、生徒の中で各教科がつながり始めます。完璧な設計図ではなく、教員自身が隣の教室に興味を持つというちょっとした「あそび」から始めることは、とても大切な一歩だと思いますね。

英語はあくまでツールであって、そのツールを使っていかに生徒を自立させるか。そのためには、教員自身が障壁すら面白がる視点や余白が大切だと思います。私のコラボ授業も、高尚な目的から始まったのではなく、「日常が止まったから、せっかくなら面白いことをやってみよう」という等身大のワクワク感から始まりました。完璧を目指すよりも、共感できる仲間と目の前の状況を面白がりながら、小さな実験を繰り返していく。そういったスタンスが、結果として生徒の自律を引き出すのではないでしょうか。

この記事を書いた人

国際教育ナビ編集部

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