英語教員の原点は“クール”なストリートダンス
最終更新日:2026年5月25日
“クール”という言葉がぴったりな河野先生。新しい教授法に取り組み、研究会等で発信をし、助成金も取得して、学校づくりにも関与する。幅広いフィールドで活躍する河野先生は、原点はストリートダンスだと話します。原点から今に至るまで、チャレンジし続ける原動力と、どのような教員を目指しているかについてお伺いしました。
何かを選択する基準は、クールかそうでないか
――大学では教職課程を取らなかったと聞きました。教員を目指したのはどうしてですか?
(河野)在学中に教員になろうと思ったことは一度もありません。実際に新卒で就いたのは企業の営業職でした。ビジネスパーソンになりたかったのです。ただ、なってはみたものの、どこか充実しない感覚がありました。
営業活動を通して感じたのは、良い商品なら売りやすいし、売りにくいときは何かしら商品に課題がある、ということ。営業担当者という「人」ではなく、商品の良し悪しで多くが判断されている感覚でした。
あるとき先輩方に、「この仕事のどこに楽しさを感じていますか?」と聞いたんです。返ってきた答えは、「人と話すこと」や「契約が取れたとき」といったもの。それを聞いて実感したのは、大学時代に私が味わっていた、惜しみなくエネルギーを注ぎ、その結果として感動を得るような経験は、この営業職とは無縁なのだなということでした。
――大学時代は、何かに夢中になっていたのですか?
(河野)ストリートダンスです。当時は日本に伝わってきたばかりの頃で、周囲にやっている人はほとんどいませんでした。けれど私の印象としては「クール」だったんです。
今もそうなのですが、何かを選択するときの基準は「クール」かどうか。ストリートダンスはとてもクールでしたし、それでいて、ただの自己満足ではなく、自分たちのウィークポイントを自覚し、挑戦し、超えていく過程を私たちは大切にしていました。
人の内面から生まれるパワーが伝播して、人に感動や希望を与えられる。そう信じてもいました。後輩育成にも力を注ぎ、あらゆる面で自分のエネルギーを惜しみなく出していくことで感動を得られたし、「自分は幸せだな」と感じることもできていた。
それに比べると、当時携わっていた仕事はまったく別物だなと。この先20年、30年と同じ仕事を続けるとしたら、このような地獄の日々が続くのか、と思ってしまった。それで何か新しいことはないかなと意識し始めたんです。
――そこから、どのように教員へ?
(河野)それ以前に、友人から教員を目指す話を聞いていたんです。卒業後に教員免許を取り教員になるという話で、最初は「何バカなことをいっているんだ」と思っていました。
でも時が経ち、自分が悶々とした日々を過ごしていたタイミングで再会すると、その友人は目標に向かって一生懸命勉強していた。「あなたもやった方がいいと思うよ」といわれたことも思い出して、当初はピンとこなかった話が、そのときはスッと入ってきた。
さらに教員になった自分をイメージしてみると、ダンスとの共通点が多くあることに気づいたんです。ステージでは観客をインスパイアしたい。その思いと向き合い過ごす日々の蓄積がステージで表現される。教員も同じです。教壇に立つなら、生徒をインスパイアしたい。でもそのためには情熱を持って過ごす日々が必要で、かつ真摯な姿を見せていかなければ、生徒の心は動かない。
何かをやり切ったときの感動はダンスにもあるし教育現場にもある。生徒の成長を見たときの感動、自分たちが何かを成し遂げたときの感動は、相当なものだと思いました。そう考えて、教員を目指そうと決めたんです。仕事をしながら通信教育で教員免許を取るところからのスタートでした。
――英語を選んだ理由は何でしょうか?
(河野)レベルの低い話ですが、「どのような教員であれば自分はクールか」と考えたとき、「英語を話せた方がクール」だと思ったという単純な理由です。ただ、当然英語ができたわけではありません。
大学4年の頃に少しアメリカ留学をして、自分の英語のダメさを痛感していましたし、改めて通信教育で学び始めたものの英語教育の「エ」の字も分からない状態でした。
加えて、技術にも表現力にも自信が持てるダンスでの成功経験があったからこそ、教員免許を取得し教壇に立ったとしても、それだけでは輝けないと感じていました。であれば技術を上げるしかない、勉強するしかない。そう考えてアメリカに飛び、大学院に進学したんです。正直、必死でしたね。

<クラブでのダンスイベントの様子>
英語教育だけの専門家では、改革は起こせない
――営業職を辞め、アメリカのインディアナ大学大学院言語学部で応用言語学(TESOL)を専攻。現地の大学で教鞭を取ったあと、帰国して地元・群馬で高校の教員になりました。教員としての実績を積みながら、外部への発信も多くされてきましたね。
(河野)少しでも悩んでいる先生がいるなら、インスパイアできればいい。それくらいの思いです。ただ、生徒には「一流を目指せ」とよくいっておきながら、自分はどうかと考えます。実のところ、教育者として蓄積してきたものを研究で裏付け、そのうえで一流を目指している人はそれほど多くないと感じているのです。
教育現場では、誰もが一生懸命に授業をするけれど、その教育が本当に正しいのかどうかは検証されないことが多い。ビジネスの世界では、結果を得るために市場調査をし、根拠を示しながら手段を選択しますよね。けれど教育現場は思いや志が先行しがちで、その手段が本当に生徒のためになっているのか、それとも先生のエゴなのかを検証する機会が少ないのです。もし検証機会の少なさゆえ生徒のためにならないことが継続されていたら、それは非常にきつい。生徒を不幸にしてしまう恐れがあるからです。
英語力向上を命題とするプロフェッショナルである以上、その手段を自分で研究するのは絶対に必要な仕事だと思っています。実践内容の発信を自分に課しているのも、責任の一つ。日本CLIL教育学会のニュースレターに年1回ほど投稿したり、英語授業研究学会で発表したりと、とにかく挑戦し続ける。そこで得られた自信は、信じていいものだと思っています。
――外部発信は、権威に認められるためではない?
(河野)若い頃はそのような思いもありました。群馬という場所で埋もれたくない、外に出たい、大学教員になりたい、そのような思いがあったのです。でもいつの頃からか、それ自体が小さいことだと思えるようになりました。今は、群馬の教育を変えたい。さらにいえば、群馬から日本のロールモデルとなる教育を発信したい。そのように思っています。群馬でしかできないブルーオーシャン的な領域があり、そこに取り組むことが使命だと感じていて、また同時に、英語教育だけの専門家になっても改革は起こせないと感じているのです。
――英語教育の専門家の限界とは、どういう意味でしょうか?
(河野)結局のところ、「英語ができる」ことと「世界で通用する人間になる」ことは別だということです。それは自分の経験から確信していることでもあります。
この先の自身の立ち位置でいえば、英語教育にとどまらず、総合探究や理科なども統合した学校改革が必要なのではないかと考え、そのような取り組みに参画できる人材になっていきたいですね。そのため近年足を運んでいる研究会はビジネスや起業教育をテーマとするものが主になっています。
また学校では、探究の時間にアントレプレナーシップを採用しています。最終目標は社会的に価値のあるビジネスモデルの創造で、しかもグローバルに通用するスケールを求めたときに英語は必須。ディスカッションさえ可能にするレベルの習得が必要となってきます。
やっぱり英語は手段なのです。何のために使うのか理由がなければ意味がない。その理由となる目的を生徒たち自身に掲げさせ、達成のための考え方も含めて育てていく。そのような英語教育を実践するのならば、英語教育の専門家を突き詰める道とは異なる道を歩まなければなりません。

<卒業生との様子>
――これまで個性的な人生経験を積み、また真摯に生徒と向き合ってきたと思います。ご自身の経験を通して、これから教員を目指す方や、若手の先生に向けて河野先生なりのメッセージはありますか?
(河野)生徒の成長する姿を身近に感じ、喜べる唯一の仕事が教員だと思います。その尊さを大切に、目の前の生徒としっかり向き合い、日々を頑張る。目の前の生徒に笑顔になってもらいたい気持ちこそが原動力で、その結果として教育活動の技術が向上していく。そういうことだと思うのです。
先日、群馬イノベーションアワードというビジコンに生徒が参加しました。社会をより良くしたいと起業家を目指す人材が生まれてほしい願いがある一方、そこまで大それたことではなく、ビジコンへの挑戦に意義や楽しみを見出したとしたら、それだけで十分ではないかなとも思います。その経験を今後に役立て、豊かな人生を送ってもらえたら十分なのです。
正直なところ、英語も生徒全員が使えるようになる必要はありません。英語で自分のことを伝えられた喜びだとか、それによって自信を得られたということがあれば、もう十分です。やはり私の根っこには、生徒の幸せを願う気持ちがあるんです。それがなかったとしたら、今頃はビジネスパーソンになっていると思いますから。
(取材・編集:谷口 諭/記事構成・執筆:小山内 隆)



