教育トーク : 現職校長からの提言~学習者中心の教育観で柔軟な指導を~

最終更新日:2022年10月18日

プロフィール

  • 大阪府泉南郡岬町 岬町立岬中学校 学校長 信田 清志

    外国語(英語)教育のみならず、公立中学校の学校長として教職員等のスタッフと「21世紀の社会に生きる子どもたちの育成」に奮闘中。 1996年度より 大阪工業大学高校(現 常翔学園)に常勤講師として勤務 1997年度より 二つの公立中学校で外国語(英語)教職員として勤務 2008年度より 大阪府教育委員会(現 大阪府教育庁)指導主事として勤務 2012年 British Councilより英国派遣 46th IATEFL conference, Glasgow 2015年度より 大阪府教育センター指導主事として勤務 2017年度より 同 主任指導主事及び 2019年度より 同 総括主任指導主事として勤務 2018年 アメリカ国務省より米国派遣 International Visitor Leadership Program 2022年度より岬町立岬中学校の学校長として着任 趣味は歴史散策とハーフ・マラソン。幼少期に武道(剣道弐段・柔道初段)に触れたことで歴史に興味をもつ。今では週末に思い立つと歴史探訪に出かける。 【学位】 ・関西大学大学院外国語教育学専攻科修士課程修了(外国語教育学) 【役職】 ・大阪府中学校英語教育研究会 会長 【所属学会】 ・英語授業研究会 全国理事

  • こども教育宝仙大学・青山学院大学 五十嵐美加

    2007年~和歌山信愛中学校・高等学校、2012年~慶應義塾大学社会学研究科修士課程、2014年~東京大学大学院教育学研究科博士課程、2020年~東洋英和女学院大学教職・実習センターを経て、現在、こども教育宝仙大学(実践英語担当)、青山学院大学(心理学応用演習担当)兼任。 修士課程在学中、英国オックスフォード大学への留学経験有り。

コロナ禍により、社会全体が大きく様変わりしました。特に、学校教育現場では、オンライン授業への切り替え、分散登校、給食の黙食、諸々の感染対策指導、などなど、これまで以上に臨機応変、かつ柔軟な対応が求められるようになりました。

変化の著しい社会を生き抜くために子どもたちに「主体的に考え、仲間と協調し、課題解決していく力」を育む必要性が叫ばれていますが、そのためにはまず、指導・支援する立場にある教師がそのような力を十分に備え、発揮していく必要があります。

複雑かつ、日々変化する「教育」という営みを成功させるために、現場の教師が心得ておくべきこととはどのようなことでしょうか。今回は、大阪府岬町立岬中学校の信田清志校長先生に、「教師教育」や「健全な教師コミュニティの構築」を切り口に、お話を伺いました。(聞き手:五十嵐 美加)

 

 

「教師の良し悪し」は教師コミュニティ次第

(五十嵐)ご専門が外国語教育学や教師教育ということで、どんな研究や活動をされてきたか、今までのことをお聞きしたいです。

(信田)僕が、最初に着任した学校はすごく荒れていました。そこで4年間お世話になりましたが、英語の授業の前に、「教師の仕事って何だろう?教育って何だろう?」ということをすごく考えさせられたんです。このときは荒れている原因を言語化することができませんでしたが、「どうやら、荒れの原因は子どもたちの責任」ではないようだ」ということだけはぼんやり気がついていました。

その後、当時の同僚が働いていた学校、現在校長をしている岬中学校に転勤しました。7年間担任をさせていただき、本当に多くのことを教育実践家である同僚たちから学ばせていただきました。また、自身の専門分野である外国語(英語)教師としての実践も少しずつ認められてきました。

そんな矢先に「指導主事」としての役目を仰せつかりましたので、初任校を含めた11年間の中学校教員の教育実践を携え、新しい勤務先である大阪府教育委員会(現大阪府教育庁)へ向かいました。

まっ、「3年程度」と聞いていたので、荷物も多く残していきました。だって、まさか13年も勤務するとは思ってなかったですからね、その時は(笑)。

たまたま、私が指導主事になった、ちょうどその時、「大阪府の学校教育や外国語(英語)教育を変えよう」という変革の機運が高まっていました。ですので大阪府教育委員会時代はだいぶ好きなことをやらせていただきました(笑)。具体的に何をさせていただいたのかといえば、「使える英語プロジェクト(平成23年~平成25年)」という英語教育に特化したプロジェクトの制度設計と運営担当をさせていただいたのです。当時の文部科学省が全国の指定中学校を対象に実施していた英語事業の規模が数億円でしたが、それを上回る規模のプロジェクトでしたので、非常に業務は大変でしたが充実感はありました。

しかし、ここで問題がでてきたのです。当時の自分は英語教育の実践はしたことがあっても、理論的な背景知識を持ってはいませんでした。「大阪の英語教育担当者としてこれではいけない」と思い、府教育委員会の指導主事をしながら関西大学大学院外国語教育学研究科に行くことを決意しました。

仕事をしながら大学院に行っていました。当時の府教育委員会は大変忙しく、「不夜城」といわれるくらいでした。今から考えると無茶な決断をしたものです。また大学院では「(その大学院の中で)最も厳しい」という評判のゼミに進んで所属していましたから論文や参考文献の読み込みなどの課題もたくさん出ましたし、本当によく勉強をしました。3年間、フラフラになりながらもなんとか修士課程を修了しました。今、振り返っても指導教官の教授をはじめ、全ての方に感謝の気持ちしかありません。私は本当に恵まれていました。

いろんなことを学びましたので、創発的視点で初任校の「荒れている原因」を少しずつ言語化できるようになりました。

外国語教育学の先行知見を踏まえて考察すると、例えば、サイモン・ボーグ(Simon Borg)という人の、Language Teacher Cognition(言語教師認知)という学問領域ですが、S・ボーグは「言語教師認知というのは、英語教師が何を考え何を知り何を信じて行動してるかということを探究する学問」で、教師は自分の持っている認知に基づいて授業を行っているとしています。

また、S・ボーグによると、教師が英語教師を認知するのには4つの区間があるとしています。教師の認知というのは、4つの区間から作られていて、まず、自分が習った授業で、つまり教師は学んだ風に教えるんです。ある意味絶対的なところで、それに憧れて教師になることもあります。2つ目は、教師になろうと決めたときに入った大学でどんな教育を受けたか。教員養成課程でどんなことを学んだか。3つ目が初任校です。最初に働いて教師として実際に働きだしたときに体感したり見たりしたことです。そこで一緒に働く同僚とか。要は自分が受けてきた英語教育、大学で教師になろうと思って受けた教育、それから初任校。最後は今自分がいる英語教師としての教育コンテクストや学校コンテクストです。

それらの4つが1つになって、教師像や教師イメージを構成し、教師認知に基づいた授業が展開されています。例えば訳読をずっとやってきた人は、訳読をやってしまうんです。そういう経験をしてきたので。それを大学でも修正されなかったらそのままやってしまうし、初任校でそれを得意としている同僚がいたら、その授業スタイルがいいと思ってしまう。

でも、訳読をずっとやっていても、大学に入ったときにいろんなやり方を知って、それがいいなと思ったら多少は上書き保存されていったり、ミックスされていったりします。次に行った初任校が教師はこんなふうに授業するよというのを最初に教えてくれる場所なので、例えば、そこが徹底した訳読方式中心だったら、そっちに行こうと思ってしまう。

日々のコンテクストが何も影響を与えなかったら、最初の3つで得た認知は固定化され(fossilization)ていくといわれています。そうなってしまうと、教え方を変えることは難しいです。

実際には今の状況や社会のニーズによって、絶えずその認知をアップデートして柔らかくしていかないといけないのに・・・

私が最初に行った学校はそういう「学校をアップデートする」コンテクストが弱かった。ひと昔まえの「教師はこうあるべきだ」という古い文脈のまま固まってしまい、その影響をまともに受けていたんだと推測しています。次に行った学校はそれが非常に柔軟で、30年前くらいから今の時代で提唱されている教育実践がされていました。本当に、全てのやり方で違いを感じましたし、今も感じています。

要するに、成長する教師コミュニティを育まないといけないということです。

院生時代の論文では、そのような先行知見に基づき「教育実践家のとして望ましいコミュニティづくり」を進めるためには校内でどのようなレッスンスタディをすればいいかを考えて、授業観察のオブザベーションシートを作成しました。そして、その使用感をもとに出てきた意見やリアクションをまとめたものが修士課程で行った研究でした。

(五十嵐)現在のコンテクストに含まれる、所属している教師コミュニティが健全で、適切、最適なものでないといけないという話なんですね。

(信田)その通りです。

 

サイモン・ボーグ著 Teacher Cognition and Language Education: Research and Practice(参照:https://www.amazon.co.jp/Teacher-Cognition-Language-Education-Linguistics/dp/0826477283

 

良い教師コミュニティの3つの条件

(五十嵐)「良い教師コミュニティ」を言語化することができるようになったとおっしゃっていましたが、良いコミュニティとは、ずばりどういうものなんでしょうか。

(信田)大きなポイントは3つです。まず1つは、「教育活動は学習者主体ということが共通認知されている」ことです。その次にそれらの共通認識の上に教師同士がお互いの学びを暗黙知だけでなく、科学的先行知見に基づいて理解していることです。言い換えると感覚的なものではなくて、時代の潮流や理論的枠組みをきちんと理解していることが大切です。

(五十嵐)さっきのオブザベーションシートの話と同じで、生徒たちが楽しそうに活動できてよかったよねというざっくりした感想ではなくて、科学的学術的なバックグラウンドに基づいた判断で、お互いの教師のことを見ることが大事ということですか?

(信田)「Getting to Maybe- How the world is changed-」という書籍があります。ソーシャルイノベーションを実践家の視点から、コミュニティづくりと共に書いたものですが、そこには私たちが直面している課題は大まかに分けて3種類あるとしています。1つは、「単純な課題」、マニュアルで対応できる問題です。飲食チェーン店では、どの店の、どの店員さんがつくってもだいたい同じ品質のものが商品として提供されます。これは簡単でシンプルな問題です。

次は「煩雑な課題」です。これは実験して1回成功してコツをつかんだら大体次からは成功します。つまり、再現の可能性がある課題です。月にロケットを送る場合などがそうですね。金属やエネルギーなど、いろんな専門家が集まって実験を繰り返し、失敗や経験をもとに課題を解決します。これはさっきみたいなマニュアルでできる「単純な課題」よりも解決まで「煩雑」です。でも、成功条件はだいたいいつも同じなので結果の確実性は高いです。

最後は、複雑な問題です。例えば子育てですね。子どもを一人育てれば、二人目もうまく育てることができるとは限らない。その逆もあります。天気予報なども当てはまるかもしれないですね。ほぼほぼ当てられるけど、1年後や10年後は予想できません。

(五十嵐)梅雨は毎年来るけど、いつ始まっていつ終わるかは年によって違うし、台風もくる時期はだいたい同じだけれども、具体的にいつ、いくつ、どんな規模のものが来るのかは分からないということですね。

(信田)そういうことです。それは、空気の動きや、ちょっとした温度の変化など、そんな小さいファクターの積み重ねが天気を構成しているからです。それは非常に入り乱れています。少し難しい言い方で「複雑系」といわれる分野です。

教師も、最後の複雑系の科学と同じであると考えられます。子どもの状況は毎日一緒じゃないし、肝心の教師の状況や心情も毎日違います。しかも教える内容も毎日変わってくるし時間割りも毎日同じではないです。ということは、マニュアルで対応できないということが前提です。しかも経験を積み重ねていけばある程度成功する見通しはあるけど、10年間絶対間違わない教育実践ということはないです。子どもも変わりますから、絶えず検証していくことが重要です。

複雑系科学に基づいたときに、教師はその場その場の最適な答えをつくっていきながら授業をしているので、それだけにたよると「這いずり回る」授業実践となります。また1つ発問したときに誰が答えるのかも、その場でベストな選択をして選ばないといけません。課題提示の方法も答えを子どもがつい考えたくなるように子どもとのインタラクションの中で見つける必要があります。”この手順によるべし”という絶対的な正解はないんです。

(五十嵐)今ちょうど教育実習生の事前指導をやっていますが、1人1人の研究授業を見に行くんです。ベテランの先生と実習生のどこが違うかというと、一番違うところは臨機応変さなんですよね。指導案通りだったらスムーズなんですが、生徒からちょっと想定と違う反応が出てきたら、どうフォローすればいいか分からないんです。

指導案で想定されてないところから、面白い課題に発展したり議論が巻き起こったりして、良いきっかけになるリアクションをしている生徒のことを拾えずに、自分の規定路線で行こうとして、もったいない授業をしていることがあります。

(信田)それは最初に言った学習者主体の話にもつながっていますね。学習者中心(=ラーナー・センター)だったらそこで子どもの反応に委ねられるんですが、指導者中心=ティーチャー・センター)だとあくまでも自分で隅々まで教えないといけないと思ってマニュアル通りになってしまいます。本屋さんにも「学校で習わない〇〇〇」という本がありますが、だいたい「全てを学校で学ぶ」と思っているのが考え方によってはおそろしいことですし、そんな本が売れているのもおそろしい(笑)。

教師の世界のコンテクストは、複雑系科学に近い状況で、マニュアルだけでは駄目だし、煩雑でもない。授業では、その場その場で最善の答えを探し求めること、またその結果が本当に適切だったか振り返る、省察することが重要です。これはドナルド・ショーンや、クリス・アージリアスといった教育研究家が、「省察」という枠組みを既につくっています。英語教師の前に「教師」としてのポテンシャルを高めるためには、複雑系科学の考え方に基づいた実践家としてのコミュニティをつくり、その中で教育実践を「省察すること(させること)」っていくことが大切になるわけです。

(五十嵐)良い教師コミュニティのポイントとは、学習者主体と、複雑性科学における教師の学びと…最後の一つはなんですか?

(信田)僕はZPD(発達の最近接領域:Zone of Proximal Development)だと私は思っています。元祖は皆さんご存知のヴィゴツキーです。その理論的進化の先にいるユーリア・エンゲストロームの活動理論による「拡張する学習」や、それらの教育的先行知見の枠組みを学ぶことも大切です。ここでは詳しく説明はしませんが、今のコミュニティを分析する時に、現状を適切に認識、整理して、課題を見つけ、教育文脈の中でもとらえをすることやその姿勢で臨むことが大切です。

まとめると、良い教師コミュニティに必要な視点は、3つで、1つ目はラーナー・センターの教育観、2つ目はアカデミアの視点、特に複雑系科学ですね。3つ目はコミュニティづくりの視点ということですね。

 

レフ・セミョーノヴィチ・ヴィゴツキー

(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B4%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC

 

管理職に必要な3つの専門性

(五十嵐)東京の中学校に勤めている友人がいます。公立なのでいろんなところに行きますが、同じ自治体内でも、学校によって雰囲気が随分違うようです。管理職の先生や校長先生が柔軟な考え方を持ってらっしゃって、新しいことをどんどんやっていいよと言ってくれると雰囲気がいいと感じるそうです。管理職の先生の人柄で学校の雰囲気が全く違うと言っていました。

(信田)管理職がきちんとしたビジョンを持って、いろんなことを知っていると、生徒指導的なこともできるしアカデミアの話もできますし、教科の指導もできます。良い管理職の条件に、三つの専門性が必要だと思っています。

まずは、教科の専門性です僕は英語教師だから英語の教科の専門性ですね。その構成要素は、教科指導に対する知識と指導者自身の英語力がどのくらいあるかということです。教えることに関しての知識も必要で、SLA(Second Language Acquisition:第2言語獲得理論)の知見をどれだけ知って、どれだけ授業実践で生かしているのかも大切になってきます。

2つ目は、豊かな実践経験です。いくら英語教育のことを知っていても、いくら英語力が高くても、教師としての実践経験が豊かでなければいけません。教職に係る先生の中には、そこに関する認識が少し難しい方もいるのかもしれません。例え、教科の専門性やそれらの知識がたくさんあっても、「実際に中学生に教えられるか」といえば、話は別になってきますよね。管理職は教師としての豊かな経験や実践を大切にするマインドセットが必要になってきます。

最後に行政能力です。当たり前かもしれませんが、日本は日本国憲法に基づいた議院内閣制による法治国家です。公立学校における全ての教育活動は、法令として示されている学校教育法等に基づき、その活動が行われています。普段、教職員はそのようなことを気にもしていません。しかし、管理職にはその視点、言い換えると行政知見は不可欠といえます。例えば私が大阪府教育委員会(現 大阪府教育庁)で行政職として職務が遂行できたのは、その知見があったからです。教育行政では「困ったときは(ウワサや風評だけでなく法的根拠になる)原典にあたり、判断をするときは(教員として子どもたちと接していた時の原体験である)原点にかえる」という言葉があります。そうすれば、例えば文部科学省に対しても間違えていることは、はっきりと「間違えていますよ」って臆さずに言えますし、そのことが、学校運営の適切さにもつながっていきます。

適切に「喧嘩」ができることは大切です(笑)。

つまり、教科の専門性、教師としての経験、行政に知見がある管理職のもとでは働きやすいでしょうね。身近な学校しか知らなくて行政を知らなかったら、教育委員会と対等にはやりとりできないですからね。

結局は教師力を育もうとしたら、教科の枠組みを早く越えないといけません。教科の枠組みにとらわれない教師力を高める。そのためには、各教科の「見方・考え方」を踏まえた学習指導要領の熟知は非常に重要です。ある意味、学習指導要領を知っているということは、汎用性があります。教科にこだわらずに教えることができるわけですから。

 

カリスマはいらない

(五十嵐)私は大学院に進学する前に、何冊も本を出している著名な現職の先生のセミナーに行った経験があります。アクティビティとして部分的に取り入れられそうなものはあるけれど、体系的に自分でやっていくと考えたら、難しいと思います。その先生が勤めていらっしゃる、元々優秀な子どもたちが集まる進学校だからこそできる授業じゃないかと思ったんです。

(信田)僕が指導主事の時にやったのが、「カリスマ撲滅運動」です。重要なのは、目の前にいる生徒に、そのときの学校文脈やソーシャルコンテクストに合わせたやり方を採用していくことが大事です。今年から大阪府中学英語教育研究会という中学校英語教員の研究会の会長をしているんですが、その中でもみんなでそういうコミュニティをつくっていこうと伝えています。また、いろんなセミナーに行っていろんな人の話を聞くことも大事です。カリスマに会って、その人のようになりたいと思って過度に意識してしまうと、硬直化が始まります。認知変化が止まってしまうから、価値観を変えられなくなります。

(五十嵐)管理職やコミュニティづくりのリーダーとしてのあるべき姿みたいなのをたくさん教えていただき、大変勉強になりました。例えば、かつて先生が感じていたような違和感を抱いている若手の先生がいたとしたら、どんな助言をしますか?現状を完全に打破することはできなくても、ステップを踏んでいけるとしたらどんなアクションがあり得ますか。

(信田)コトバンクのセミナーに参加することかな(笑)答えは外にありますからね。外に答えを探しに行くときに、「有名だから」とか、「カリスマだから」とか、という落とし穴にはまらないように気をつけてください。外に出て答えを見つけるということと、教師の枠を越えていくことに尽きますね。 

(五十嵐)本日は大変勉強になりました。ありがとうございました。不安や悩みを抱える若手の先生方にも響く内容だったと思います。今後も、コトバンクのセミナー等にご登壇いただけると幸いです。

 

この記事を書いた人

国際教育ナビ編集部

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